雲州そろばんの生い立ち .....

現在では小学生から使用しているソロバンは、どのようにして作られたのでしょうか。

今から約170年前の天保時代の初め、現在の島根県奥出雲町亀嵩の大工・村上吉五郎は、芸州の塩屋小八の作った
算盤をまねて見事なものを作りました。材料は、この地方に産する樫・梅・すす材を用い、大工道具を使って作りました。
つまり、吉五郎は雲州算盤の元祖です。

吉五郎は算盤の製法を一子相伝として、秘密にしておりましたが、奥出雲町横田の高橋常作や村上朝吉が苦心の末、
製作を始めました。

改良を加え、ついに珠を削る手回しろくろを完成しました。さらに朝吉はこれを公開し、多くの弟子に伝えましたので、
急激に生産も増えました。この手回しろくろにより、珠削りが容易になるとともに、小さな珠も削れるようになり、今日、
皆さんが使われるような算盤が開発されました。

明治になり、教育が普及し、経済が発展するに従い、雲州の事務用算盤の良さがわかり、「算盤といえば雲州」と
言われるほどになりました。
当時は唐木と呼ばれていた黒檀・紫檀を用いて作った算盤は、その重厚さと軽妙な珠はじきが好評で、行商人に
よって全国に販路を拡げました。

更に、村上朝吉、千田順兵衛らによって、雲州の製作技術は大阪に伝えられ、播州へと伝わり、雲州算盤産業の地盤を
固めました。

大阪・播州は小学校算盤へと発展しましたが、雲州は事務算盤として、質を保持し、工芸的な風格も加えて、日本一の
伝統を保ち続けてきました。

雲州算盤を生んだもとになった塩屋小八の作品や、吉五郎の最も初期の作品をはじめ、幾多の名工の作品を
所有しております。